年金暮らしの冠婚葬祭

 

年金暮らしは、若いころのように食欲旺盛ではない。つつましく暮らしている人は、1日2食という男性もいます。
食べ盛りの子供もいないし、子供の教育費ももう要りません。

 

健康であれば医療費もほとんどゼロ。夫も私も持病なし、常時服用している薬もない。入れ歯もなし。私は歯科へ定期的にチェックに行きます。

 

自分たち夫婦は、そうであっても、思わぬところから訃報が飛び込んできます。
七人兄弟の末っ子の夫。私からすればすでに見送った義兄や義姉もいますが、80代 90代の義兄姉が五人います。いつ誰がどうなってもおかしくない年齢です。
90代の義姉は、遠方に住んでいますから、もしものときは、香典や供花、供物のほかに、私たち夫婦の飛行機代&ホテル代が必要で、そのための用意はしてあるのですが…

 

なんと去年は61歳の甥が、その半年後にはは私の従弟の妻が62歳で逝去。私より若いふたりの死=葬儀なんて想像もしていませんでした。

 

電話があれば、すぐ通夜と葬儀に駆け付けなければなりません。その前に、葬儀場へ供花の注文をします。

 

 

 

 

なんでこんなに高いの?と思うぐらい高すぎます。こういうときに値切る人もいないし、葬儀場の言い値ですね。

 

この他に、香典&供物(すぐデパートへ4〜5000円ほどの和菓子系のものを買いに行きます)デパート友の会に入っているので、急な出費はこれで支払いします。

 

 

正直いって、自分より若いこのふたりの相次ぐ葬儀のことは全く念頭にありませんでした。つまり予備費の中にありません。葬儀はこれだけですまないのです。

 

すぐ49日忌、そして1周忌、3回忌、7回忌、13回忌..当然、ご仏前を包み、供物もまた買いに行かねばならない。一年の間に私より若い人の葬儀、これから先ずっ〜と法要の通知が届くわけです。

 

この日以外に、お盆と春秋のお彼岸にお墓参りに行かねばなりません。この時期の墓花は、すごく高くなりますねぇ。

 

遺族側も、お参りに行かねばならない親族も、ほとんどが年金暮らし。ホンネを言えば、もうこんなことやめようよと言いたいのが言えない。

 

親族というだけのつながりで、ふだん会うこともない、それぞれの生活をしているのに、死んだ人のために集まる必要があるのか?

 

ちなみに、私の実家は、両親の葬儀は、地域の習慣どおりにしましたが、あとのことは弟と相談して、49日忌もそれ以降も家族だけでしました..とはがきでお伝えして終わりました。

 

すると、親族のみなさんもそれでいいのなら..と葬儀以外の法要の連絡はありません。

 

誰もが年金収入だけの暮らしで、切り詰めた生活をしているのに待ったなしで葬儀の連絡が来ます。

 

ほどほどの時期に、年賀状のやりとりをやめることから始まって、人間関係、親族関係の整理も必要になります。あっちもこっちもいい顔していては、つらくなりますよ。

 

 

 

 

林先生の「葬式、やんなくていい」発言

 

 

過日、林修先生の番組で、生前整理の話がありました。そのときの発言です。

 

エンディングノートに、葬式に来てほしい人の名前を書いておく..林先生、すかさず「ゼロ!」いつも友だちいないから..と口癖のようにおっしゃっていますよね。

 

「葬式、やんなくていい!」

 

 

 

あらぁ、林先生もそう思っているのね..と私もまったく同感!常々、私も娘に「葬式も法事もしなくていい」と言ってあります。

 

今もそうですが、友人知人、親族..生きている限りつづく人間関係。冠婚葬祭はついて回ります。

 

浮世の義理で、誰も何も言わず、そのたびごとにそれなりの礼儀を尽くします。

 

いわば、どちらの側にもすべてお金が絡むことです。それも半端じゃない大金です。

 

結婚式は、前もってわかっていますからいいのですが、葬式は、突然です。待ったなしの現実です。

 

猛暑の日でも真冬の凍える寒さの日でも、行かなければなりません。御香典や供花、供物..と出費がかさみます。

 

もちろん私の両親の時も、地域のしきたりがあって町内の人たちにお世話になり、翌日は一軒一軒、遺族がお礼を言いに回ります。

 

年齢を重ねれば、幾たびも冠婚葬祭に参列しました。それでの私なりの結論。

 

たかが私が死んだからと言って、私の友人知人、親戚、、何人もの人に電話して=香典持って来てくれ、と言わんばかりの呼びつけるようなことは絶対やめて!

 

葬式も法事もやらなくていい!これは娘への遺言です。他の人はともかく、私に限定しての話ですよ。

 

死んだ人間(私)のために、お金を使うな。1円も使うな。お金は生きているからこそ、必要なモノ。生きていく娘にこそ必要なのだから。こんな簡単な道理、私にすれば至極当然のこと。

 

どんなに豪華な花に飾られた葬儀だとしても死んだ私にはわからないのだもの、おかしくないか?

 

葬儀は誰のためにするの?

 

ある知識人が、葬儀は、遺族が、これだけやった、親孝行したと世間に認めさせる儀式だと、テレビで言ってたのを見た記憶がある。なるほどと納得した。

 

とにかく、真夏、真冬、お構いなしに呼びつけられた葬儀。

 

何度もそういう経験をしてきたから、私がこの世で親しくしていた友人知人たちには、そういう想いはさせたくない。

 

楽しく時間を共有できた人たちだもの。それだけで充分、何の悔いもない。死に顔を見られたくないし、私のために泣いてくれるな。

 

天から与えられた命の時間を使い切ったら、孤独死だってかまわない。ひっそりと静かに命の時間を閉じられればそれでいい。

 

 

某女性作家は、豊臣秀吉並みに、死ぬ間際まで、周囲の人に「私のこと忘れないでね、忘れないでね..」と言い続けていたとか..

 

そんなに未練たらたらの最期より、今という時代に、日本という国に生まれてきたことに感謝して、楽しい時間を共有してくれた家族や友人知人たちに、ありがとうを言い、心の中で手を合わせつつ死んでゆく。それが私の最期の在り方。

 

後の始末をしてもらうためのお金をわかるように残していく。娘には、49日忌が過ぎたら、生前のお礼を言うべく、私自身で用意しておいたはがきを出してねと言ってある。

 

それでこの世の義理はおしまい。それでいいじゃないか..と私は思っている。

 

 

 

家族葬の盲点

 

 

 

夫の親友が、数年前に他界。家族ぐるみの付き合いでした。

 

がんを患っていてそう長くないことはわかっていましたが、奥さんから電話があって、夫は号泣。親友の奥さんは、生前、「葬式の時、誰に来てほしい?と聞いたら、夫ともうひとりの友人の名前を言ったので、最後の別れに来ていただけないか?」 故人の遺志で家族葬でやりますとのこと。家族葬はほぼ親族だけということが多いそうです。

 

夫の親友は、中学時代からの人生時間のほとんどを共有してきた友人ふたりとは、もっともっといろいろなことをしたかったのでしょう。20人ほどの親族。結婚していない息子さんは、当然家族がいませんし、娘さんは結婚していても子供はいない。大人だけの静かな葬儀でした。
雪はめったに降らない地域ですが、その日は、ちらちらと雪が降り、寒さに震える日でした….

 

後日、新聞生活欄という紙面で、(最近増えている家族葬、でもアシが出ることも多いので、見積もりをしっかり聞いて!)という記事でした。参列する人が少ない分、当然の事ながら、香典もそれなりです。60代は、現役世代ではないし、会社関係ゼロですから、供花も少ない。

 

夫と友人は、寂しいからと、供花やお供えを派手なものを依頼しました。

 

とかく葬儀の場で、再会した知人同士が盛り上がってしまう光景も見受けられますが、静かな家族葬も落ち着いた雰囲気でしみじみと故人を偲ぶ時間になります...

 

 

 

 

葬儀のかたち

 

過日、ご近所の78歳の女性が亡くなられました。

 

ご主人とふたりどちらも歩行困難でしたが、娘さんが病院の送り迎えをしてい仲の良いご家族でした。ご葬儀は、ご近所にも町内にも知らせず、ご主人と娘さんのふたりだけで、送られたそうです。
それもいいかな..と思うのです。ほんとうに悲しんでくれる人は、家族だけかもしれません。
私も含めて、親族や町内のひとたちに義理で参列することも多く、かつては参列者が多いほうが、優越感を抱いたり、すこし自慢..というそんな時代もありましたが、もう今では数の問題ではないのです。

 

自分がいなくなって本当に寂しいと思ってくれる人だけでいい。お葬式の形もどんどん変わりますね。
でも、どんな形であれ、人が死んだら決められた手続きなどで出費はかかりますから、準備は必要です。